RYUKAミニ講座2:生活設計のすすめ

ゼミ生へのインタビュー

2007年8月27日付け『毎日新聞』全国版の「研究室訪ね歩き」というコーナーで、
「流通科学大学田村ゼミ」と題して写真入りで紹介されたことがある。
東京から記者さんが見えて1時開ばかりゼミ生にインタビューした。
おりよく日経「ストックリーグ」に参加していたから、それを中心にいろいろと尋ねられた。
多少心配していたが、ゼミ生はしっかりと答えてくれた。
それがなによリ嬉しかったことを覚えている。

“計算高いが計算できない”日本人

ところで、「生活金融論」という科目で、「“計算高いが計算できない”、これが日本人の特徴だよ」と話すことがある。
「計算高い」は損得勘定に鋭敏であることをさしている。
日本人は自分だけが損をしているのではないかとつねに不安に思う。
しかし、ほんとうに損をしているかどうかを計算して確かめるものはまずいない。

公的年金の将来推計によると、現在の若い人たちでも、年金の総額が掛金の総額よりも多いという。
しかし、年金保険である。
片方に貰いすぎがあれば、もう片方に払い過ぎがいなければ保険収支は償わない。
年金財政は破綻するか、それとも税金を投入してでも制度を維持するほかない。
少子高齢化と成長活力の低下という条件下では見通しは暗い。
若いときから自力で何とかすると覚悟を決めて頑張る方が確かであろう。

401K型企業年金では社員が運用方法を指示することになっていて、企業は社員に金融教育をほどこすはずである。
数十年後にうけとる年金は運用実績によるから、ちょっとした収益率の差が老後に大きくひびく。
しかし、運用方法を指示しない社員が多い。
金融の基礎知識と計算能力の乏しさが消極的な姿勢をもたらす一因であろうか。

金融機関と顧客とのトラブル

ところで、バブル期以降、金融機関と顧客のあいだで多くのトラブルが発生した。
責任の大半は金融機関にあるが、勧誘する相手の言い分をまるごと信じて退職金全部を注ぎこんだ被害者もいた。
トラブルのすべてが金融機関の責任とも言い切れない。

もっとも、90年代半ばまで日本社会では金融機関の破綻はなく、金融関連のリスクは殆んどなかった。
社会全体が「信頼」と「安心」をベースになり立っていた。
しかも、金融商品を調べるために時間や労力を投じても、そのコストに見合うメリットはほとんど得られなかった。

しかし、有力な金融機関に破綻リスクがあるときけば話しは違う。
金融商品の数がふえ、金融機関ごとに収益率に差がでれば、金融を基礎から勉強し、
自己責任で資産運用をはかることがよき市民としての責務でさえある。

いまや理系大学院に金融研究科ができるご時勢である。
投資ファンドにみるように、金融知識が巨富をうる近道にもなる。
それほどでなくても、知識が仕事や生活に直結しはじめたという意味で、金融論はまさに実学である。
近年、多くの大学が金融コースを開設し始めたゆえんであろうか。

(次回は保険の話し)