RYUKAミニ講座1:人生設計のすすめ
かつて青年層は「人生いかに生きるべきか」と煩悶し「人生論」を戦わせた。
人生はついに「不可解」といって華厳の滝に飛び込んだエリートもいた。今どきの若者はどうであろうか、そういえば、その種の相談をあまり受けなくなったことに気付いた。
近年は人生を悩むのは中高年で、思いのほか長い老後に強い不安を抱く。
不安の三大要素は、健康、生きがい、そして金銭である。折角の長寿社会というのに、健康でなければ楽しくない。家族や友人関係が豊富で、多彩な趣味があればいうことはない。金銭面は特に不安である。公的年金は足りず、企業年金は頼りない。死ぬまで食うことに苦労したくない。そこで貯蓄や株を考える。「生活設計」と世間で呼ぶのはおおむね「資産運用」のことである。
本学で十年ばかり「生活設計論」という科目を担当したので、聴いて頂いた方もおられるであろう。
この講義は導入部分が難儀で、20歳前後の若者に長い人生を考えろといっても無理である。そこで、これを考える効用を説いてきた。
漠然とでも、数年先、十年先を思い浮かべてみる。
そのときに自分はどうなっている?どうなっていたい…? 何か目標めいたものが思い浮かべばしめたもの。そこから「逆算」して今の自分を考えてみる。そうすれば、数年後の自分になるためには何か不足しているものやしておいた方がいいことが浮かび上がる。あとは実行あるのみ。どうせ人生は計画通リには進行しない。でも、計画的に考えていると、不思議に元気が出るものである。人生設計は単なる反省ではない。
有朋会の会員諸氏は最年長でも40歳くらいであろう。
老後といえる歳までは短くても二十数年ある。勤労生活が始まったばかりの人もいる。こんな元気なときに、そんな先の話など考えられないというのが正直なところであろう。
確かに、人生は長い。これは、私の今抱いている実感である。
ここまでよくぞ来たものだと想う。しかし、同時に、月並みではあるが、あれこれと何とかなったのではないか、という悔いに似た気持ちもある。もう少し計画的にした方がよかったのかな、という想いである。
世の中のことは予め考えて準備した方がおおむねよい結果が出る。
健康のためにウォーキングに励み、家族を大切にし、資産運用を心がける。これだけでも大違いである。筆者が言うのであるから間違いはない。私はあと一年余で定年になるというのに、引退後をどう過ごすか、全く決めておらず、むしろ途方にくれている。これは悪い見本で、皆さんは賢明に生きて下さい。ぜひ、生活設計を考えて。
ところで、「人生二毛作」という説がある。
壮年期と老年期に分けた上で、老年期をいかに充実してすごすかに重点が置かれる。この意味で人生を最もうまく生きたのは、西洋人であれば考古学者のシュリーマンであろう。かれはトロイ遺跡の実在証明を人生後半の目標とし、前半生を商人として生きつつ資金作りと語学の習得に充てた。日本人であれば、見事な日本地図を作った伊能忠敬がいる。かれも前半生は家業に没頭しながら準備をして50歳から地図作りに精進した。ここまで見事にやることは凡人には難しいが、人生の過ごし方としては、なるほどと思われないであろうか。
(次回は資産運用について)